東京マラソン2007

今日,2月18日はは東京マラソンがありました。昨年まで行われた東京国際マラソンは、アスリートのみの大会でしたが、今年から名前も一新、市民ランナー、車椅子、障害者、もちろん女性に門戸を開いた大会になりました。3万人が走る大マラソン大会です。しかしあいにくの雨天、そのためゴールの東京ビッグサイトまで行くのはやめて、田町駅前周辺で観戦しました。

まずいきなり驚かされました。走路が逆なのです。通常駅伝でもマラソンでも車が走るのと同じ左側通行なのです。田町駅から見て手前側にある車線は横浜に向かう下り車線。当然同じ道路をつかう箱根駅伝でも往路(行き)はこちらを使うのです。ところが逆です。登り車線を大手町の方から品川を目指すランナー達は走っていき、品川で折り返し、今度は通常くだりの横浜へ向かう道路で大手町方面へ戻るのです。

何故???

私は疑問に思って、係員の方に尋ねました。

『日比谷通りを大手町に戻って、日比谷公園から銀座通りに向かいます。そのとき右折しないと行けません。右折するときは対向車はどうなりますか?  対向車とは余り早く走れない市民ランナー、右折するのはトップアスリート招待選手たち。そこでアメリカの道路の様に右折を対向車に影響されない形にするために逆走する事にしたようです。 』

『なーるほど、考えたな。』

(この説明分かりにくいかも知れません)

そう言っているうちに選手達が来ました。

右から2番目ニット帽をかぶって水色のランニングのアフリカ系の選手が優勝したジェンガ選手です。ジャンガといえばもう10年くらい前、流通経済大の選手として頑張り箱根駅伝出場を目指しましたが、彼一人の頑張りでは夢がかないませんでした。



今回のマラソン応援の一番の目的は、尾籠選手の応援と写真撮影。いつもそうなんですが、応援している選手が来ると、つい『○○!!』と名前を大声で叫んで仕舞うんです。応援ですから当然です。ところがそうすると写真の撮影のほうがおろそかになる。スポーツの写真ですから一瞬が勝負です。難しいところです。

尾籠選手はまもなく明大を卒業する明大生、箱根駅伝で3度山登りに挑んだ箱根の猛者。とくに今年の箱根では順天堂の山の神様こと今井選手に続いて区間2位のタイムを出した選手。今回が初マラソンです。結果は21位2時間25分34秒。おそらく満足できるものではなかったかと思います。尾籠君とは大会などの応援で直接話を交わしたこともあり、これからも長く応援するつもりです。


このレースで引退する有森裕子選手もいました。 男子選手に囲まれるような有森選手を見つけて『有森!!!!』と声援を送ると有森は私の方を見て手を振って答えてくれました。そこはかつてのスター選手、周囲からより一層の声援と拍手が送られて大いに盛り上がりました。ごらんの通り笑顔のラストランでした。



有森と代わって、将来を嘱望されている新谷仁美選手(中央)女子選手トップで通過しました。
小出のオッサンとこの門下生です。




観戦を終えて帰途に付きながら、田町駅に向かうビルの2階通路から見下ろすと、向こう側の車線は市民ランナー達大群の行進でした。

急いで帰宅して観たTVは優勝のテープをきるジェンガ選手が写っていました。優勝インタビューでは流暢な日本語で答え、感極まって泣いていました。感動的なシーンでした。すべてをかけて鍛錬したアスリートが目標を達成して感涙に咽ぶ姿は、スポーツ観戦の醍醐味です。


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第83回箱根駅伝観戦記 1月5日アップ

東京国際女子マラソン2006 11月19日(日)日比谷にてブログ

関東インカレ・ハーフマラソンと5000m決勝5月21日(日)日産スタジアム

東京国際マラソン観戦記
new2月13日


2006年
1月2日箱根駅伝 (往路)。(2006/1月5日更新)詳細は写真をクリック

10月22日箱根駅伝予選会(立川・昭和記念公園)
10月16日 箱根駅伝予選会を控えて壮行会へ


2005年正月の箱根駅伝観戦記はこちら
(一部訂正・修正更新06.1/16.再修正,写真追加1/20)